スコア:568/999
出典: ワーナー・ブラザース
『A.I.』
【あらすじ】
技術が発達した未来では様々な目的でロボットが活用されていた。時代と共にロボットはますます進化を遂げ、人間の家族の心の癒しのためだけにデイビットのような子供のロボットまでもが作られるようになってしまう。
【作品情報】
公開:2001年6月29日(アメリカ)|2001年6月30日(日本)/上映時間:146分/ジャンル:SF/サブジャンル:ヒューマンドラマ/映倫区分:NR/製作国:アメリカ・イギリス/言語:英語
【スタッフ】
(監督)スティーヴン・スピルバーグ/(脚本)イアン・ワトスン,スティーヴン・スピルバーグ/(音楽) ジョン・ウィリアムズ/(原作) ブライアン・オールディス『スーパートイズ』
【キャスト】
ハーレイ・ジョエル・オスメント/ジュード・ロウ/フランセス・オコナー/サム・ロバーズ/ジェイク・トーマス/ジャック・エンジェル
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ポイントレビュー
■むかし映画館で観た時とは意識する視点が変わってた
ポイント:228/333|評価:GOOD
2001年に公開された映画なので、もう20年も前に作られた作品なのですが、あんまり古臭さはありません。SFとしての映像美も、現代の技術と遜色ないというか、しつこいCG感が少なくのでかえって美しく見えたぐらいです。
さて、肝心の内容についてですが、これ結構最後まで見るのが大変な作品です。放映時間自体も長いのですが、退屈だからという意味ではなく、子供をお持ちの方や、ある程度分別がつくようになったお子さん自身にとって辛い場面が多いので、とっても長く感じると思われます。
もういいんじゃないの?それぐらいでさ?と言いたくなるぐらい泣かせにかかってきます。そこが好きになれるかどうかが、本作の好き嫌いの分かれ目になると思いますね。
そんな私は……そうですね。いや、良かったけど、良かったけどさ、もう一度はいいかなぁ……という感じでした。一度目は若くて、さらにもう少し心が綺麗な頃に(自己評価)映画館の大スクリーンで観ているので、迫力の差で何とか誤魔化しが効いたところはあったんですが、二度目の小さめスクリーンの視聴だとかなり感情的な部分がメインで揺さぶられます。
好きな映画タイプのお話ではあるんですけどね。誰かと映画の話題になった時に、これを切なく素敵なおとぎ話みたいに扱うことは、私には出来なそうです。
■スピルバーグ監督作品に過度に期待し過ぎたかも……
ポイント:157/333|評価:BAD
円熟期に入ったスティーヴン・スピルバーグ監督らしい作品ですね。どの層も絶妙にマッチするターゲティングです。誰にでも分かりやすく取り敢えずは安心して見られます。
世間的にはいわゆる「鬱映画」のひとつにも挙げられるお話のようですが、それほど騒ぐような話ではないような気がします。自我を持ったロボットの問題って設定的には結構ありがちですから。
本作より少し前にロビン・ウィリアムズ主演の『アンドリューNDR114』という似た設定のロボット映画が話題になったこともあって、こちらはどちらかというとラブストーリー寄りなんですが、本作はそうした流行にほんのり乗っかった感が否めなくて、若干穿った目で観賞してしまったところはあります。
自我を持ったロボットという設定はどこに着地するのかが、途中から垣間見えてしまう作品が多いので、その点では私は『アンドリューNDR114』の方が好きだったかなという感想です。
ただ、スピルバーグ監督には『激突!』のような衝撃をつい期待しがちなので、その分厳しい目線になってしまったところはあると思います。
■少し泣ける要素を詰め込み過ぎてしまった感はある
ポイント:183/333|評価:GOOD
さり気に好きな人も嫌いな人もいそうな作品です。嫌味な言い方をすれば、『ジュラシック・パーク』のCG技術と『ターミネーター』の疑似家族要素を足し合わせて、大人に対しても子供に対しても『泣ける映画』の部分を強めようという目論見を密かに感じます。
映画も商売ですからね。そこを否定するつもりもありませんし、私自身はお気に入りとはいかないまでも好きな作品です。だけど、正直に言えば家族関係の問題でノイローゼ気味になっている友人とは一緒に見たくはないかな?
そんなにキツイ話ではないんですけど、真の家族愛とか、そういう視線で楽しく見られる作品ではなかったし、ロボットが自我を持つことの是非とかを、とことん突き詰めている作品でもない。それらを問うきっかけにはなるかもしれないですがね。
子供への愛とロボットへの愛と自我を持ったロボット達の問題と、作品のテーマとして色々と欲張ってしまった印象は少し受けました。意外と好みの別れる作品だと思います。
メインレビュー
- ネタバレありの感想と解説を読む
かなり残酷なロボットのためのおとぎ話?
メインレビュアー
SF担当/最高評価ハッキリ言って相当主人公の子供型ロボットのデイビットに残酷な映画でした。これではただの社会的なオモチャです。好奇心から、楽しそうだから、面白いから、人間の子供もそうした理由や動機でオモチャで遊びます。
でもこれって実は大人も変わらないんですよね。子供のオモチャの方が見た目が分かりやすいだけで、何かしらをオモチャにして遊び、ストレスを発散しています。
つまり、生命ある人間の「都合」によってオモチャは作られ、消費されていきます。私の思想としては、ロボットに自我を持たせることの是非に関しては明確な答えは出せてませんが、本作の場合は「非」の立場を取らざるを得ませんでした。
本作は不治の病を抱えて永久冬眠していた実の息子マーティンの代わりとして、デイビットを家族に導入することから悲劇が始まるんですが、そこに自我を介入させるって必要なんですかね?
息子マーティンが不治の病を抱えて母モニカがあまりにも塞ぎ込んでいたので、やむにやまれず、夫でありマーティンをの父であるヘンリーがデイビットを連れてくるんですが、ヘンリーはのっけから、デイビットを息子扱いするつもりはないし、ロボットだからと見下しているようにさえ見える。
モニカはモニカで戸惑いつつも、次第にデイビットに愛情を持つようになりはしますが、マーティンが奇跡的に治ると、何となく邪魔に感じてくる。
私のところは病気ではありませんが、同じく子供を抱える母として心情は察するに余りあるところはありつつも、自我を持たせて、かつ自分を永久的に愛情を抱かせるように設定をしていまう点は、個人的な感覚ではナシでした。
人間の子供でも、ずっと母親を愛する子に育つかどうかなんて分からないのに、寂しさとふいに目覚めた愛情から、お手軽にそんな重大な感情を決定づけてしまっている。これは真の愛情ではないのではないような気がします。
そして、その上でデイヴィットには基本的な自我があるので、その決定付けられ、押し付けられた報われぬ愛情を抱えたまま、モニカとヘンリーの都合で捨てられて生きていかなければならない。
これってどんなに綺麗な言い訳をしても「都合」の良いオモチャじゃないですか?家族として飼っていた犬や猫を「都合」が悪くなったからそこら辺に捨ててしまうのとほとんど変わりません。
生命ある犬や猫やその他の動物と無機物であるロボットを同列に並べるのはナンセンスなのかもしれませんけど、いやいや、自我があったら、その自我に対して責任を持つのは当然なんじゃないでしょうか?
観葉植物にだって声をかけながら、水やりをしたりするでしょう?元気がなさそうなら、栄養剤を注入したり……下手すると、観葉植物を守るために、生えて来ちゃった雑草をむしったりもする。
それは自分が育てている観葉植物に自我があると少なからず思っていて、愛情があるからです。お米を育てている農家でも、美味しく育てよなんて言って、自我を尊重して愛情をを持って収穫をします。
話が飛躍し過ぎて、自分でも感じの悪さがありますが、自我と生命と愛情ってほぼ同価値のモノだと思うのです。そういった物をオモチャにしてはいけない……それが本作からのメッセージだとしたら、わたしはかなりの作品だと言い切れるんですが、どうしてもデイヴィットへの残酷さばかりに目が言ってしまって、気持ちが良いとは言えない涙がでてきてしまいました。
ラストシーンもなんだか、救いがあるようで、逆に救いがないような気がしました。残酷なおとぎ話に日本初の『浦島太郎』みたいな理不尽なものがありますが、それとは全く異質な、アメリカ的な残酷なおとぎ話を読んだような思いです。
一回目も二回目も多少元気な時に見たので、面白かったよ!とは思える作品でしたが、人様に対して同じ感想は言いにくいお話ですね。強いて本作を話題に挙げるなら、「あの『A.I.』のオスメント君、今イメチェンなのか、かなり太ってるよ!」というボチボチの豆知識として使うぐらいでしょうか?
ロボット以上に人間って知らず知らずに進化しているものですね。
本作の名台詞
ママに愛してもらえるよ
出典:A.I./VOD版
役名:マーティン・スウィントン
演:ジェイク・トーマス