コラム『これ以上本命チョコの流通量を減らさないでくれないか?』/近道通

これ以上本命チョコの流通量を減らさないでくれないか?


■バレンタインチョコって一体なんなんだろう……

近道 通
近道 通
コラムニスト
文字数:約2300字|読了時間:約4分

世俗から離れて久しい人生とはいえ、ここまで日本式のバレンタインデーのスタイルが変わってしまうとは思いもよりませんでした。義理チョコ、世話チョコ、友チョコ、自分(マイ)チョコ、ファミチョコ、俺チョコ、逆チョコ、自分チョコ……

義理チョコはまだいいんです。まだ理解出来る。義理チョコという無駄な文化を減らそうという時代に青春時代を過ごして来ましたけど、「あんたに今あげたチョコは義理なんだからね!勘違いしないでよね!プンプン!!」みたいなツンデレ女子が現れる可能性は、オフィス街で天然記念物に遭遇するぐらいにはあり得えそうなお話ですしね。

フタを開けてみたら、「これ義理じゃないからね……」なんてメッセージカードが入ってたらあれば、もうその瞬間に世界が破滅しても悔いはないでしょう。仮にマジの義理チョコだったとしても、不必要な虚礼の一種ではある部分は否定しきれないものの、それもいいでしょう。日頃の感謝の気持ちを込めてってことで、それを形にして表すきっかけというのは必要でしょうから。

世話チョコ、ファミチョコもごく最近に生まれたチョコタイプではありますが、趣旨としてはおそらく義理チョコの派生みたいなものだろうからそれもついでに許しあげましょう。感謝されての贈り物はどんな形、どんなタイミングであれ、なんだかんだで嬉しいものですからね。

また、照れ隠し用のアイテムとして、義理チョコ、世話チョコという文化が活用されている面も多分にありますから、この程度は百歩譲ります。ホワイトデーは煩わしいですけど、相手から送られた気持ちの解釈はこっちの心の自由ですから。一握の可能性にかけて、しっかりお返ししたいところです。

だけど、友チョコ、コイツはダメです。コイツの登場から何かがおかしくなり始めた気がします。あり得ぬことと察しつつも密かに胸に期待を抱き、そしらぬ顔で机に突っ伏していたあの多感な頃、それは突然私の前で始まりました。友チョコの誕生の瞬間、それはまさに青天の霹靂でした。女子同士でチョコを交換しているんです。しかもカワイイ包装付きで。

一瞬何が起きたのかギリギリで保っていた自我さえも失っていました。無意識に小汚い机にキッスまでしていました。なんですか?友チョコって?味見し合うにしても、万に一つぐらいは渡す候補になりうる可能性のあるヤツの目の前でやるなよって話です。

もしかして「あたいらズッ友だよね」っていう確認作業?本当にズッ友ならそんなんいらないでしょ。帰りにコンビニで板チョコ買って、好きな時に食べればいいじゃないですか。少数点以下のワンチャンに賭けて登校して来たこの無謀なる勇気は一体どこに持っていけばいいんでしょうか。

そういえば私は生涯を通して、友チョコさえも貰ったことがありませんでしたね……どういうことですか?私のことは友達としてさえ好きじゃないってことですか?出るとこ出ましょうか?お金とか出しましょうか?

そんでもって極めつけにはこれ……これですよこれ。俺チョコ、逆チョコ、自分チョコって。全然意味がわかんないです。一体どうしたいんですか?三種続けて言うとやたら語呂が良いのも腹立ちます……俺チョコってどんなマニアックな精神羞恥プレイ?量販店のバレンタインデーコーナーに自分で買うの?もっと自分を大事にしましょうよ。

ぶっちゃけ、バレンタインデー翌日に安売りされてるチョコを大量買いして、お袋に「こんなにもらちったぜ」みたいな悲しいジョークをやったことはありましたけど。それを見て「そう、よかったね」とは言ってくれたお袋、あれ後で多分泣いてたと思います。

続いて逆チョコ……もうお前は帰れ、帰っていい。諸説あるとはいえ、日本のバレンタインデーはあまり自分から愛の告白する女性が少ないことから始まった文化じゃないんですか?

そんな慎ましやかな理由から生まれた文化を逆セクハラみたいな、変な言い方しやがって、まぁ男がバレンタインデーに告白したっていいとは思いますが、別にそこはチョコあげなくていいでしょうよ。チョコレートは告白の添えものとしては安価だし、お手軽ではあるけどさ。

そして、これ、この一番納得いかないヤツ……自分チョコ????バレンタインデーに自分でチョコ買って自分で食べてみました。?????これってただのチョコ好きじゃないの?チョコに改めて「(お菓子として)好きです」って伝えるってことですか?わかりました。よ~くわかりました。じゃあ、私が『自分チョコ』って文化に新しい名前を付けてあげます。

『チョコチョコ』

もうこれでいいでしょう。もう怒るのにもほとほと疲れました。新しい『〇〇チョコ』が出て来る度に、『本命チョコ』の価値が相対的に上がるって側面もあるのかもしれませんが、新チョコ文化供給過多状態になりすぎて、存在そのものが希薄化されているような気がしてなりません。

もっと本来の趣旨に戻って『本命チョコ』の流通量を増やすべきです。そしたら、もしかしたら、私の手元にそれが届く日も来るかもしれません。日本のバレンタインデーの文化が販売戦略の一つであったことは知っていますが、そんなことはいいんです。私は人生で一度だけでも『本命チョコ』を貰ってみたいんです。

私の意見に賛同して下さる方がいるとは、到底思えませんが、『本命チョコ』この甘美なる響きと味を今一度日本に取り戻そうではありませんか!!貰ったことがないので、こっちは切実ですよ。

さぁ、同志たちよ。本番まであと数日です。がんばりましょう……何かを。


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執筆後コメント

バレンタインの当日の朝 ドキドキで靴箱を開けたら上履きが盗まれてた

コラムニスト:近道通
担当:オールジャンル