スコア:850/999
出典:フォーカス・フィーチャーズ
『ブラック・クランズマン』
【あらすじ】
人種差別が続く70年代のコロラド州コロラドスプリングスで、主人公のロンは黒人初の警察官として採用される。白人の同僚達から粗雑な扱いを受けてしまう彼だったが、自らの信念の従い、KKKへの潜入捜査を提案する。
【作品情報】
公開:2018年8月10日(アメリカ)|2019年3月22日(日本)/上映時間:128分/ジャンル:ドラマ/サブジャンル:社会派作品/映倫区分:全年齢/製作国:アメリカ/言語:英語
【スタッフ】
(監督) スパイク・リー/(脚本) スパイク・リー, デヴィッド・ラビノウィッツ,ケヴィン・ウィルモット,チャーリー・ワクテル/(音楽)テレンス・ブランチャード/(原作)ロン・ストールワース『ブラック・クランズマン』
【キャスト】
ジョン・デヴィッド・ワシントン/アダム・ドライバー/ローラ・ハリアー/ ロバート・ジョン・バーク/ヤスペル・ペーコネントファー・グレイス/コーリー・ホーキンズ/ポール・ウォルター・ハウザー/ライアン・エッゴールド/ハリー・ベラフォンテ
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ポイントレビュー
■コミカルなシーンをコミカルに感じてはいけない緊張感
ポイント:267/333|評価:GOOD
作中の白人達によるナチュラルな差別的発言の数々に、怒りを覚えるのを通り越して関心してしまいました。あぁそうなのかと。この時代には差別しているという自覚さえなく、当然に史上主義がまかり通っていたんだと……
映画のタッチとしては「コミカルです」と言ってしまっても、それほど間違った表現ではない作りなんですが、笑えないです。面白くなくて笑えないのではなくて、笑いごとじゃ済まされない笑いなんです。
こういう観客側の心を見透かしているような映画は恐いですね。いたる所に差別的なジョークや演出が散りばめられているので、フッとでも息を漏らそうものなら、自分がさもレイシスト(人種差別主義者)であるかのような錯覚に陥ってしまいそうで、ずっと息を飲んでいました。
そして、その一方でレイシスト側をマヌケな存在に見せるという荒業をも成し遂げている。アメリカが生んだ名監督中の名監督、スパイク・リーの渾身の一作ここにありといった映画です。
あと少々私情を挟んだ感想になってしまいますが、吹き替え版の主人公の声のトーンが私の大好きな『ビバリーヒルズ・コップ』のアクセル・フォーリー(吹き替え版)っぽくて、いい感じでした。
■実話原作映画、当時の白人達の自然な差別心の見せ方が秀逸
ポイント:307/333|評価:GOOD
本作に関わった製作会社としてQCエンターテイメントが名を連ねています。あの『ゲット・アウト』を製作した会社です。なんでも、『ゲット・アウト』の監督であるジョーダン・ピール(製作)を通じて、スパイク・リー監督の手に映画の企画が伝えられ、どうにか映像化まで漕ぎ着けられたとのこと。
原作である主人公ロンの自伝は未読ですが、映画版の本作を見た限りでは(アメリカの方の感覚であれば)相当な批判がくる覚悟を持っての公開だったことが分かります。歴史の中ですっかり習慣づいてしまった白人達の差別意識の見せ方が鋭いです。
見ている間は、つい映画としての娯楽性の高さに騙されてしまいそうになりましたが、社会派作品としての完成度はかなりものでした。本稿執筆時点でアメリカ国内におけるタイムリーな話題であることも相まって、ラストは息が詰まる思いがしました。『ゲット・アウト』と合わせてご覧になると、より深く考えさせられるものがあるかもしれません。
■デンゼル・ワシントンの長男主演、父とは雰囲気の異なる見事な演技力
ポイント:276/333|評価:GOOD
当サイトのレビュアー陣の中で、勝手に安定と安心のブランドと賞賛しているデンゼル・ワシントンの長男、ジョン・デヴィッド・ワシントンが主演です。お父さんとは全く別物の魅力がある俳優です。
正直言って、視聴後に「あの俳優さん誰だろう?」とネットで調べるまで気が付かなかった。いくら振り返って各シーンを思い出してみても父親譲りっぽい部分がまるでないんです。2世俳優感がない。完全にオリジナル。
この役はひょっとしたら、若かりし頃のお父さんでも難しかったんじゃないでしょうかね?それぐらいピッタリの役回りでした。主演の彼によって主人公への好感度が爆上げになったことで、重い題材の話がわずかながらに明るく希望があるもののように感じさせてくれました。
ほとんどの日本人の感覚だと、他国の人種史上主義って理解し難い部分があると私は思っているのですが、本作のおかげで何となく根深いところに何が居座っているのかを感じ取ることは出来ましたね。
ただ、唯一苦言を呈するとしたら、潜入捜査官モノとしても一流の出来にも関わらず、社会派映画としても一流の仕上がりにしてしまったこと。どっち目線で視聴すればいいのかメチャクチャ苦慮しました。
話の筋は単純なのに実は深い話だったって途中で気が付いた時って、頭がこんがらがりません?ジャケット視聴した方なんかはコメディだと思って見ている可能性さえある作品ですからね。もし、そこも監督の狙いだったのだとしたら、最早参りましたという他ありません。
メインレビュー
- ネタバレありの感想と解説を読む
人種差別という悪しき習慣が現在も続いている事実を如実に表してみせた傑作
メインレビュアー
ドキュメンタリー担当/最高評価作品冒頭で「この話はマジでリアルな話がベースです」とあるように、主人公のロン・ストールワース本人の自伝が元になっているため、本作中のロンの主義思想行動については多少割り引いて見なくてはならない部分はあるのかもしれません。
当時生まれてもいなかった私が微妙に違和感を抱いてしまうほど、作中のロンの振る舞いは人種差別に対して真摯で中立的です。登場人物として狂言回し的な側面すら感じます。
自伝というものは、当然のことながら極めて主観的なジャンルです。そこが魅力の一つでもあるのですが、当時の自らの行動や感情を今の自分が振り返る形で執筆されるため、無意識の内にかなりの脚色が加えられることを考慮しなくてはなりません。
しかも、そこに対してさらに映画的な娯楽性が加えられるとなれば、どれが事実でどれが事実でなかったかの見分けを付けるのは一層困難となります。ロンが当時作中のような人物であったかどうかを見極める術はありません。
作品の中でも終盤で「本件の全ての証拠と資料は破棄することになった」と署長から伝えられるシーンがあります。これでは「事実の裏付け」のしようがありません。
実際に十分ありえそうな話なので、おそらくは実際にあったことなのでしょうが、そうした当時の時代背景があったせいで、本作を再現ドキュメンタリー映画として見ることが出来なくなってしまった点は非常に残念でした。
しかしながら本作は、映画として「事実の裏付け」よりも、人種差別問題に対する主張に重きを置いている作品なので、半ドキュメンタリー目線で見るのがそもそも間違っている可能性はあります。
仮に全てが脚色であり、ほぼフィクションのような内容だったとしても、製作側の主張は作品の中で常に一貫しているからです。原作の自伝はあくまでもベースに過ぎず、それを最大限に生かした思想映画のような内容になっています。それでいて、その核心となる部分をギリギリまであからさまにはせずに、大筋では社会派の娯楽作品というスタンスを崩しません。
こういう作品を撮らせたら、本作の監督であるスパイク・リーの右に出るものはいません。『マルコムX』で見せた思想性と、『インサイド・マン』で見せたエンターテイメント性を足して2で割ったような(共に彼の監督作品です)作風で人種問題を語られたら、問題意識を持たずにはいられません。
こういった社会派映画は、どこかに「でも、他国の話だから」というエクスキューズがあるもので、一歩引いた視点で見てしまいがちです。それは全く悪いことだと思いませんし、そうなって当たり前だからこそ、数々の問題を映画化する必要があって、娯楽として楽しむことが出来るのだという持論さえ持っています。
ですが、本作に関してはそれを許さないようなパワーとリズム感があって、観客は知らず知らずのうちに引き込まれ、外堀をゆっくりと埋められてしまうために、逃げ場がなくなってしまうのです。
潜入捜査モノとしても格別の出来なので、そこのハラハラドキドキの娯楽性に逃げ込めば良さそうなものなのですが、そこが実は罠で、いざ逃げ込んでみたら結局は根本のテーマが待っているというオチになっています。
主人公をカエル呼ばわりした悪徳白人警官を逮捕するあのシーンで終わっていたら、全てに納得はいったわけではないものの、スッキリとした喉越しのまま物語を飲み込み切れるお話なんです。
KKKの親玉に潜入捜査の種明かしをするシーンで終わっていても、後味はそれほど悪くはありません。さらに言えば、本作は物語としては、ヒロインとのラストシーンで終わりますが、あそこで終わっていてもまだ社会派の娯楽作として見終える余地がありました。
でも、実は本題はここからだったのです。ここから監督は急にトーンをドキュメンタリーに変えて、「映画終わったけど面白かった?でも、現実では全然終わってないよ。結局は形を変えて歴史を繰り返してるんだよ」と、総括してきます。
このまとめ方で思わずハッと現実に引き戻されてしまうんです。言われてみれば、人種差別問題の根本は何も変わってないなと……
こうした感想を抱くに至った背景には今現在(2020年)アメリカでブラック・ライヴズ・マター(通称BLM)が活発化していることも大いに関係しているのですが、本作の政策が着手されたのは、2015年で公開は2018年、そして作中の時代設定は70年代です。
それなのにも関わらず、作中では『レイシャード・ブルックス射殺事件』をまるで予測していたかのような、「彼らは黒人を背中から撃ってる」という運動家クワメ・トゥーレ―の警察に対する発言があったり、BLMが活発化するきっかけとなった『ジョージ・フロイド事件』を彷彿とさせるような白人警官たちによる主人公への暴行シーンがあったりと、現在のアメリカとの既視感が半端なものではありません。
でも、これは予言したわけでも何でもなくて、こうした出来事が当時から今の今まで習慣化しているから、それをありのままに作中で描写しただけなんです。
つまり、何も変わっていないからこそ、この映画の構成は成立しているんです。もし変わっていたとしたら、暗い時代を忘れないように振り返った過去完了形の映画になっていなくてはいけません。でも、本作は現在進行形の映画になっている。
1970年代の黒人達を取り巻く人種差別の様相を娯楽要素を交えて映像化したら、現実の2020年と余り変わらないんですから、これは社会派映画として非常に冷徹な視点です。何年経っても同じことが起き続けるということを図らずも確信していたフシさえあります。
映画は、2017年に起きたレイシスト集会に抗議するデモ隊への自動車突入事件で死亡した、へザー・へイヤーという名の女性の写真に手向けられた言葉「“憎しみに居場所なし”」が表示された後、逆さになったアメリカ合衆国の国旗が映し出され、それがゆっくりとモノクロ化していく演出で幕を閉じていくのですが、これが本作がもっとも伝えたかったことなのだという意図を汲み取ることが出来たのは、こうした冷徹な視点があってこそでした。
特に最後の逆さ国旗のシーンについては様々な解釈がありそうですが、その個々の解釈こそが自分が持つ人種に対する考え方そのものなのだと思います。重たい余韻が胸を締め付ける良いラストです。
また、本作は私にとっては異常なまでに考えさせられる映画ではありましたが、私の考え方を変えようとする映画ではなかった点が好印象でした。
そう考えるとドキュメンタリー調な部分を最小限に抑えて、表向きには潜入捜査モノの娯楽性を重視したのは大正解だったと思います。ドキュメンタリーは思想の押しが強過ぎると、途端に説教されているような感覚に陥ってしまいますから……
スパイク・リー監督は、本当に毎回毎回、実にしたたかな映画表現をする人です。特別どんでん返しがあるわけでもなさそうなストーリー展開だったので、最後に「やられた」という気持ちにさせられるなんて、思いもよりませんでした。
本作の名台詞
黒人であることから逃げるのを今こそやめよう
出典:ブラック・クランズマン/VOD版
役名:クワメ・トゥーレ
演:コーリー・ホーキンズ